あせらず、さわがず

茨城県土浦市でコンパクトに暮らしてみたい

『霞ヶ浦考現学入門』と自分の無知、偏見

茨城県土浦市に住み始めたとりあえずです。

前回のグダグダ記事で取り上げていた『霞ヶ浦考現学入門』。これを読んで、まあー私ったら知らないことだらけ! 無知!

まず、利根川が江戸時代までは東京湾に流れていたこと! Σ(・ω・ノ)ノ エー! 初めから茨城と千葉の県境にあったんじゃないんですね。
霞ヶ浦も元々は、海の一部が土砂で堰き止められて出来たもの。室町時代はまだ香澄海みたいな呼ばれ方してて、海水も当たり前に流れ込んでたとか。

茨城県サイト:霞ヶ浦の成り立ち
http://www.pref.ibaraki.jp/doboku/kasen/keikaku/kasenka/column012.html
海跡湖っていうのか。
因みに琵琶湖は断層の変動で出来た断層湖だそうです。

まあ、江戸に幕府を開いた徳川が、東京湾に流れてた利根川を銚子方面へ付け替えたと。利根川東遷と呼ぶらしいですが、スゴいこと始めちゃいましたね!家康さんは! 霞ヶ浦の淡水化にもなったらしいですよ。

利根川の他に荒川などもいろいろ動かしたようですが、トンデモないデカい土木工事で(つまりは人力!)江戸という土地、ひいては都市と文化が出来たんですね。今の東京も、家康さんの時代からひたすら元の自然環境を作り変えて生み出した、言わば生粋の人工都市なんだなーってのがよく分かりました。

ただ、その東遷事業によって、利根川の水の行き先が変わって、今の茨城県西県南と霞ヶ浦周辺が水害の常襲地帯になったってのもね…。あまりに頻発するから米も3年に1度獲れればいいとか、戦後も引きずる大変な土地になってしまったようです。

そういう土地を何とかしたくて、治水・利水・管理の名目で開発やら何やらをして、結果今の霞ヶ浦になっていると…ホント、背景を知るのは大変だけど大事。

利根川=暴れ川、水害が多いというのは知識にありましたが、江戸の開発・発展の負の遺産だとは思いませんでした。著者の沼澤氏も「首都発展の犠牲」「大規模公共工事のツケが弱い立場の地方に廻ってきた」とハッキリ述べてますが、このあたり、いろいろ考えさせられました。

この本が出たのは2009年ですけど、その2年後の福島原発の事故を、2018年に読んでいる私は自然に思い出しました。
水が人間にとって命なのと同じように、電力は現代人にとっては命ですよね。その利を得るためにしてきたこと、及びその結果が同じだったんだなーと。

人間社会の都合を良くしようとすると、自然そのものもだし、都市から見て自然的存在の地方も、わりと犠牲になりやすい。同じ構図を同じように繰り返してしまった、それが見えて衝撃でした。

今さら東京を否定も非難もする気はないですよ。
私だって地方民だけど、東京をはじめ、都会や都市の恩恵を受けまくって生きています。同じ茨城県内の土浦の今の場所に来たのも、駅近で生活に便利、東京にも近いという、完全に都市機能が魅力だったからです。過去に住んできた所も都会ばかりですし(東京にもちょっと住んだことありますし)。

ただ、都会と田舎、人間と自然、持ちつ持たれつながら、恩恵を受けてる側は、相手に負荷をかけてることはそろそろ自覚した方がいいと思いました。まずは認識。でないといつまでも他人事のまんまで、いざ自分に不利益が及んだら右往左往するだけで何にも出来ないってことになります。
霞ヶ浦の受益者については沼澤氏が本の中でもガッツリ触れてることですけど、こうした無自覚・無関心を研究してる間ずっと感じていたんでしょうね。

私も無自覚・無関心、加えて偏見もありました。県北にいた時は水戸から南のことなんてホントどーでもよかったです。東京近くて便利だし栄えてるじゃないの…なんて。

なのに、土浦に住み始めて霞ヶ浦の直接的な受益者になった途端、急に霞ヶ浦が哀れで健気に見えるという。何とも現金すぎるイヤな人間です。

まずは今からでも汚濁負荷を少なくする生活をしたいです。
あとは、『霞ヶ浦考現学入門』から9年、霞ヶ浦の環境は良くなったのかどうか、最近の状況も知りたい。チビチビ調べてみようか。

いつもの如くグダグダ書きましたが、『霞ヶ浦考現学入門』を読んでグダグダ思ったことです。

もし読んで下さった方がいたら、お礼申し上げます。